ポク太郎です。
本ブログを見渡した閲覧者の方は必ずこう思ったはず。
これはしっかり自覚しており、見つけた際には一生懸命直しております。
でも、おかしくなるのにはちゃんとした理由があります。本記事は何故句読点の打ち方がおかしくなるのかを説明する言い訳投稿です。治し方の解説ではありません。
本ブログの文章は句読点の使い方がおかしい
来るたびに数時間掛け100ページ近く読んでくれる閲覧者の方もポツポツ。
誤字脱字と同じく句読点おかしいなどの不備は読む側にとって変なストレスになる筈なので、非常に申し訳なく思っております。
うちの句読点おかしい文章で圧倒的に多いのは主語の直後に読点を打つタイプ。
これならまだ不自然さは少ないかもですが、下のレベルのもたくさん存在。
この「主語の後に読点を打つ」癖。これには深い深い事情があります。
句読点の使い方がおかしい原因・理由
幼少期のポク太郎
ポク爺が幼稚園児であった古代の話です。以下のような幼稚園児が一人居ました。
その幼稚園児が古代のポク爺その人。
で、その左手内の消しゴムを見つけた瞬間何をしてたのかを忘れ元のお絵かき作業に戻る。10分ほどして「さっき俺は何してたんだ?…」と思いにふける幼稚園児。
桂歌丸師匠がよく老化現象の例として例えるのは以下行動。
- 掛けてるメガネを探し回る。
- マスクしながら唾吐いた。
つまり、老化済幼稚園児。一瞬にしてすべてを記憶する新品そのものの脳みそを持つ幼稚園時代からそんなド忘れ頻発状況でした。
お受験時のポク太郎
爺が生まれたのは古代である昭和時代とはいえそれはもう戦後。当然中学生にもなればお受験戦争が待っております。
本ブログの閲覧者はご存じ。ブログ運営に重要とされる毎日更新ができるような規則正しい爺ではございません。なので当然お受験対策の方針は、
「赤ちゃんは母親から出てくるので父親に似る要因存在せず。“父親似”なんて言葉は単なる社交辞令」と主張する鋭い幼稚園児でしたから、お受験対策も徹底しています。
お受験のルールは「試験開始~終了の合図までの間なら、答案用紙に何書いてもOK。」
つまり、試験開始の合図まで血眼状態であんちょこを見つめ高速ラーニング。
六四五年、ナカノオウエノオウジとナカトミノカマタリがソガノイルカさつが~い!!
六四五年、ナカノオウエノオウジとナカトミノカマタリがソガノイルカさつが~い!!
→試験開始の合図とともに解答用紙裏に「645、中大兄皇子、中臣鎌足、蘇我入鹿」と高速記入し、「フはぁ…もう安心」。後は該当の問題を見つけたらそれを見ればいいだけなので。
句読点の打ち方がおかしくなる理由
現在のインターネット社会では誰もが簡単に発信できる単なるブログ。
だからそんな御大層なモンでもないですが、それでも書く行為は執筆作業そのもの。まっさらな状態から項構成、節構成を構築し記事に仕立て上げます。
当然、閲覧者に何かを伝えるためのものなので文章の繋がりがすごく大事。文章の繋がり=話の持って行き方。これが記事を仕立て上げるために要するアイデア。
“ネタ帳”なるものの存在がその証明ですが、アイデアとはすごく忘れやすいものです。
文章を書いてる最中とは、事前に考えたそのアイデアをまさに脳内千手観音が必死に掴んでる状態。異常なまでに左手内の消しゴムの存在ド忘れに怯えながら。
そのアイデア、つまり話の繋げ方を思い出すためのキーワード=主語を書き出した瞬間、「フはぁ…もう安心」と脳内千手観音の手を解放し、テンッ。
これが本ブログ文章における“主語直後の読点”正体。
他にもおかしいと言えば文章内の「てにをは」。これは別の理由から。
ジジイは一旦文章を書いた後、その文章を体言止めの形に書き直します。
理由は文字数を徹底的に減らすため。「~しました。」「~と思います。」「~かも知れません。」などの文末は意外と文字数に効き、体言止めはその無駄な文字数を削減できるから。
ただ、体言止めは通常主語述語が入れ替わる表現方法なので書き直した後再度注意深く読み直して「てにをは」を修正する必要が。
何度も書き直しするうち読み直し作業を忘れ、変な「てにをは」が残ってる場合が散見されます。
つまり「てにをは」がおかしいのは閲覧者が読みやすくなるよう努力した結果の失敗なので、見つけた際には何卒お許し下さいませ。
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