神々の指紋勉強中|第2部第7章「では、巨人がいたのか?」~マチュピチュまでの旅行記

映画のネタのつもりで読む過去の大ヒット『神々の指紋』。オカルトと言われる本書籍を勉強してる理由はこちら。
読書にも考古学にも縁のない無教養爺なので的外れ多いかも。指摘しやすいよう書籍の内容・主張Hx-x)、ポク太郎の所感Px-x)と随所に番号を付けてあります。

ポク太郎です。

書いてある内容が理解できない『神々の指紋』の個人的勉強ノート。

本投稿は第2部-第7章「では、巨人がいたのか?」。


『神々の指紋』第2部「海の泡 ペルーとボリビア」~全体あらすじ

第2部の概要・要約・あらすじ

ただいま勉強中。
第2部完了後に概要をまとめます。

書籍内の証拠名称、人物名

書籍中の文言が分からなくなるので証拠名称や人物名にA~の通し記号。

神々の指紋』に記載される人物名(証拠名称)
Aピリ・レイスオスマントルコ帝国海軍総督。1513年に地図を描く。南極大陸の海岸線が現在の地図に見事に一致。
Bクイーンモードランド地方南極大陸の一地方。南極大陸が氷原化したのは何百万年も前だが、6000年前まで氷で覆われてなかった地方。
Cオロンテウス・フィナエウスオロンテウス・フィナエウス。1531年に世界地図を描いた。
Dビラコチャインカ帝国で最も崇拝される神。他には太陽神インティ、その息子マ○○・カパクママ・オクロ“○○”と伏字にしてある理由はこちら
Eピサロ将軍1513年に到着したスペイン将軍フランシスコ・ピサロ。インカ皇帝アタワルパを約束反故にして殺害し、本国スペインから死刑判決。現在のペルー人も“インカ文明を破壊した元凶”と捉える人物。
Fコリカンチャン神殿純金のシートが敷き詰められ、純金のトウモロコシが栽培されるインカ帝国の首都クスコにあった神殿。
Gフアン・デ・ペタンゾズ16世紀のスペイン人年代記編集者。『インカ族伝承大全』編集者。Dビラコチャの風貌を「あご髭、高身長男性、白いローブ、腰にはベルト」と現地の逸話を記録。
Hガルシラソ・デ・ラ・ベガ16世紀にサクサワマンの城塞に訪れ、驚愕の言葉を残し、『インカに関する公式報告書』中にインカ王が石の追加に挑戦し大惨事を招いた逸話紹介。

神々の指紋』に記載される人物名(調査側)
aハンコックグラハム・ハンコック。著者。元「エコノミスト」誌の東アフリカ特派員。
bハプグッド教授チャールズ・H・ハプグッド。キーン州立大学教授。歴史学者。
cヒラム・ビンガムアメリカの探検家。1911年にマチュピチュ発見。
dロルフ・ミュラーポツダム大学天文学教授。1930年代に「マチュピチュ建設はBC4000~BC2000年」と発表。考古学会の定説は「15世紀以降に建設」。

第7章「では、巨人がいたのか?」

本章は空中都市マチュピチュに到達するまでの旅行記。その過程でインディオの民話を含む数々の伝説を紹介。

節構成は、

  • 巨人を滅ぼす
  • 太古の伝承
  • タイムカプセル
  • マチュピチュの夢
  • ジグソーパズル

マチュピチュ到達までの旅行記と伝説

伝説として話題にする文献は、

ホセ・デ・アコスタ神父『インディオの自然と道徳の歴史』
モリナ神父『インカの神話と祭祀についての報告書』
Hガルシラソ・デ・ラ・ベガ『インカに関する公式報告書』

表題にある“巨人”とは伝説に登場するもの。ビラコチャが大石像を作り、命与えたのが巨人

伝説の基本は「大洪水」→「ビラコチャ登場」→「海上を歩くなどして海の中へ消える」。つまり“海の泡”。

H07-1)aハンコックさんは上記伝説紹介の中で、「ユダヤの旧約聖書にも巨人が登場」とエルサレム近辺の中東・エジプト地域との関連を匂わせています。

マチュピチュ到着

チチカカ湖周辺の位置関係を確認。遺跡は現在の都市からは離れておりGoogleマップでよく見つからなくなるので。

神々の指紋勉強中|マチュピチュまでの旅行記|インカ帝国周辺地図
マチュピチュの探し方…クスコの北西サンタ・マリアサンタ・テレサ探す→その南東の山中に見える太陽の門ワイナ・ピチュマチュピチュの場所。

地図を見ると、クスコナスカの地上絵クスコティアワナコの距離は青森-鹿児間位離れてることに気付きます。メルカトル図法だから単純比較できないけど。

ティアワナコ…カタカナ表記にすると色々ありティウアナクGoogleマップ表記ティワナクWiki表記など。

“太陽を留める柱”を意味するインティフアタナがあり、ジグソーパズルの巨大な石組みもクスコティアワナコ同様に健在。

H07-2)マチュピチュへの旅行記から“障害物に阻まれ、スペイン始め侵略者に発見されなかった遺跡”。発見は1911年アメリカの探検家。

H07-3)aハンコックさんはdロルフ・ミュラーを支持したげな様子。その主張は「マチュピチュ建設はBC4000~BC2000年」。現在の学説は「15世紀以降に建造」。

どうしてもエジプト、メソポタミア文明との共通化に持っていきたいのが見て取れます。

ここまでが第7章。

一番色々こじつけられそうな空中都市マチュピチュで引っ張るのかと思いきや、次章からはティアワナコに移動するようです。

第7章の感想、疑問点、批判

本章は七不思議の一つマチュピチュの話。
「なんでそんなとこに?」
「どうやってそんなとこに?」

2年前、2019年にブラジルのリオ・グランデ・ド・スール連邦大学が発表したもの。

「この地域は断層の交錯地点」「その断層地点は砕かれた硬い岩石が入手可」。つまり「石を運んだのでなく、都合良く砕かれた石が入手できるからそこで街を建造したのでは?」

街の中の施設は断層に沿った配置→砕かれた石で建造物。また、抜き取った後の溝は豪雨地帯であるこの町の排水路へ&飲料水・生活用水もゲット。

上記特徴はクスコ他でも見られる傾向だそう。

なので、この学説から見えるインカ人の思考回路は「作りやすい場所を探しそこに都市建造、探した特徴は砕かれた石が並ぶ断層上」。

P07-1)西欧人「砕いた石でレンガ作って組み立て→それ並べて町」。
P07-2)日本人「木を切り扉に紙貼って家→それ並べて集落」。
P07-3)インカ人「デカい石入手可能な土地探してそこに皆で移住」。

すごく確からしい学説。これなら納得。以下観点でも確からしす。
●地震多発地帯→“デカい石で建造する常識”があった。
●互いに遠方なので分断社会となり謎として遺跡に残る。

ただしP07-4)別の山にしか存在しない材質の巨大石が上記の遺跡で発見されてるので、「インカ人が巨大石を長距離移動させた」てのはまだ否定できない項目。

「“大量の”巨大石を長距離移動させた訳ではない」が可能性大になっただけ。

近場でもその巨大石を「よっこらしょ」とどう持ち上げたのか、また上記はナスカの地上絵に対し何の解明にもつながらない事項。

インカ人の思考回路を紐解く必要がありそうです。

謎だらけ南米大陸。俺が生きてる間に解明されるといいんだけど。

合点がいく主張が出てきて、aハンコックさんのこじつけなんかどーでもよくなった第7章でした。

目次へ
戻 第6章 混乱の時代に現れた男
次 第8章 世界の屋根にある湖

コメント

タイトルとURLをコピーしました