第3部第16章「蛇の聖地」~中央アメリカの起源はマヤでなくオルメク文明

ポク太郎です。

書いてある内容が理解できない『神々の指紋』の個人的勉強ノート。

本投稿は第3部-第16章「蛇の聖地」。


『神々の指紋』第3部「翼ある蛇 中央アメリカ」~全体あらすじ

第3部の概要・要約・あらすじ

中央アメリカへ移り、アステカ文明が崇拝するオルメク・マヤ文明のユカタン半島⇔メキシコシティーを周回。
チチェンイッツアトレスサポテスサンロレンソラベンタパレンケトゥーラチョルーラモンテ・アルバンテオティワカンの遺跡巡り中、世界へ知識を伝えた超古代文明の存在をしつこく主張します。
人類滅亡の発想は「時間計測に固執するマヤ人の必死な第五太陽期の終焉計算」から。それ計算してたとの断定はもちろんaハンコックさんの妄想。

登場した遺跡名

神々の指紋』に登場した遺跡名
第2部
ペルーボリビア
ナスカ周辺 ナスカの地上絵…ハチドリ・蜘蛛・サル・クジラ・幾何学図形。
クスコ周辺 サクサワマン石組みで作られた古代城塞。
コリカンチャ神殿αビラコチャ神殿。
マチュピチュ周辺 インティフアタナ…“太陽を留める柱”。
ワナピチュ…反対側の山。
ティアワナコ周辺 αビラコチャ像神殿。
アカパナ・ピラミッド…水路完備。
カラササヤ…南西角に太陽の門
第3部
メキシコ
ユカタン半島周辺 チチェンイッツア遺跡オルメク文明跡ククルカンの神殿戦士の神殿チャコモルの偶像幼児生贄の祭壇
コアツェコアルコス…“蛇の聖地”。δケツァルコアトルが立ち去った場所。
サンティエゴ・トゥストラ…ニグロイドらしき頭像設置された公園のある町。
トレスサポテス…後期オルメク文明中心地。マヤ文明より古い石板。アフリカ系黒人の頭像。
メキシコシティ―周辺 テノチティトランアステカ帝国首都。
ウィツィロポチトリ神殿アステカ帝国首都にある神殿。
トゥーラの遺跡…メキシコの神δケツァルコアトルが敗戦した戦場。
チョルーラ…スペイン人征服者Eコルテスが大虐殺を行った神殿。巨大なジッグラトピラミッドトラチウアルテペトルあり。

書籍内の証拠名称、人物名

書籍中の文言が分からなくなるので証拠名称や人物名にA~の通し記号。

神々の指紋』に記載される人物名・証拠名称
Aピリ・レイス オスマントルコ帝国海軍総督。1513年に地図を描く。南極大陸の海岸線が現在の地図に見事に一致。
Bプトレマイオス AD100年頃を生きた古代ローマの学者。数学・天文学・地理学・地図製作学等に精通し多数の業績。
Cピサロ将軍 1513年に到着したスペイン将軍フランシスコ・ピサロ。インカ皇帝アタワルパを約束反故にして殺害し、本国スペインから死刑判決。現在のペルー人も“インカ文明を破壊した元凶”と捉える人物。
Dガルシラソ・デ・ラ・ベガ スペイン貴族とインカ王族の子息で、征服直後16世紀に『インカに関する公式報告書』を執筆した年代記編集者。
Eコルテス 古代メキシコ文明の文化を殲滅したスペイン人征服者エルナン・コルテス。ただし、メキシコ生贄文化に対抗したと受け取られ、Cピサロ将軍のような扱いでなく平和の神にされることも。1,000ペセタ紙幣の肖像。

神々の指紋』に記載される伝説・遺跡名
αビラコチャ 南米ペルー・ボリビアの神話に登場する半神半人。アゴ髭を生やし数々の文明をもたらしたと言われる神。海からやってきて海へ去った“海の泡”。
βコリカンチャ神殿 純金のシートが敷き詰められ、純金のトウモロコシが栽培されるインカ帝国の首都クスコにあった神殿。
γカラササヤ ティアワナコにある遺跡中の半地下式構造の広場「石が垂直に立つ場所」。北西には太陽の門
δケツァルコアトル 意味は“翼ある蛇”。メキシコで言い伝えられるαビラコチャによく似た主神。あご髭白い肌。
εトナティウ メキシコマヤ文明で言い伝えられる五代目太陽神。現在はその五代目太陽“期”。

神々の指紋』に記載される人物名(調査側)
aハンコック グラハム・ハンコック。著者。元「エコノミスト」誌の東アフリカ特派員。
bハプグッド教授 チャールズ・H・ハプグッド。キーン州立大学教授。歴史学者。
cアインシュタイン アルバート・アインシュタイン。ノーベル物理学賞受賞者。
dボナンスキー教授 アーサー・ボナンスキー。ラパス大学教授、ドイツ系ボリビア人。『ティアワナコ アメリカ人の揺りかご』執筆。横道傾斜のズレからティアワナコ建設時期がBC1.5万年と主張。

第16章「蛇の聖地」

サッパリ分からない書籍なので、まず節構成内容の簡単あらすじ

書き出し部「オルメク文明の地域と起源」

ベラクルス到着。バナナ農園が広がる熱帯の平原。

ベラクルスオルメク文明の中心地。メキシコ湾に面する町。

オルメク文明とは…アステカ帝国興隆の1500年前のBC2000年から存在。ベラクルス~シウダーデルカルメンまでの地域。

ベラクルス~シウダーデルカルメンまでの地域…西端に見えるのがベラクルス

ベラクルスシウダーデルカルメン中間地点にコアツェコアルコス川。現在はゴム園はなく、石油産業で一気に栄え遺跡発掘は困難。

コアツェコアルコス=「蛇の聖地」。アステカの主神δケツァルコアトルと仲間が上陸&蛇のイカダに乗って去った地点。

コアツェコアルコス周囲にはトレスサポテス、サンロレンソ、ラベンタ(地図内に表記なし)。玄武岩のオルメク文明彫刻多数出土。30トンクラス。芸術品以外の出土なし。

オルメク=「ゴムの人々」。アステカ人が命名。アステカ人オルメク人の儀式用の用具を発見し自らの神殿の宝物とした。理由不明。

アステカ帝国の中心はベラクルス西のトゥーラテオティワカン。地図内ではテワカン表記。

第1節「サンティエゴ・トゥストラ」

サンティエゴ・トゥストラ到着。ベラクルスコアツェコアルコス川中間地点。カラフルな原色の色彩。地図内ではサンティエゴ・トゥクストラ

ソカロの公園ど真ん中にアフリカ人の頭の彫刻。30トンクラス。明らかにニグロイドの顔。小さな公園にある頭像にも拘らず写真無し。

ドラクエ9テンチョーアギト-古代文明壁画のつもり
ドラクエに出てたテンチョーみたいな

H016-1)アメリカ大陸にアフリカ系黒人が来たのは奴隷貿易以降。でも、原始人類学では氷河期の最後に起きた大移動時にニグロイドが居たと確証が上がっている←これがBC1.5万年。

第2節「トレスサポテス」

トレスサポテス到着…サンティエゴ・トゥストラ南西25㎞。後期オルメク文明中心地。BC500年~BC100年に繁栄。書籍内には南西とあるが思いっきり真西。

H016-2)発掘者マシュー・スターリング発見
マヤより古い石板 マヤ文明はAD228年、それより古いBC32年9月3日の記述ある石板発掘。
マヤ文明の遺跡でない トレスサポテスオルメク文明のもの⇒暦技術カレンダー発明はマヤでなくオルメク文明

トレスサポテスマヤでない理由は一切触れておりません。「疑問の余地なし」とだけ。
アフリカ系黒人の頭像 BC100年頃の高さ2m、周囲6m、10トンの巨大な頭像発見。間違いなくアフリカ系黒人の頭像。これがアフリカ系黒人の頭像
車輪付き玩具 小さな車輪がついた犬の玩具→中央アメリカの文明は車輪を知らなかった筈。

点と線のカレンダーシステムは、BC3114年8月13日からスタートし2012年で世界の終わり。

aハンコックさん主張「オルメク文明は車輪を知ってた&玩具だけでなく実用してたはずだ。」

第16章の感想、疑問点、批判

いつものように言いたいことをパシッと示せないaハンコック論法。

P016-1)代金を払った読者側が以下を察してあげないといけません。

マヤ文明でなくオルメク文明が起源、アフリカ系黒人の頭像でこの辺一帯全部オルメク文明で氷河期の人類移動、BC1.5万年に暦カレンダー・車輪知ってた高度な文明」ともっていきたいのね。

非常に疑わしい文章力なのでウィキペディアで調査。

P016-2)ウィキペディアで調査したオルメク文明マヤ文明アステカ帝国
オルメク文明
BC1200~BC0年
オルメカ文明。アメリカ大陸最古。以降の文明に特徴が受け継がれる「母なる文明」。

巨石や宝石加工技術。ジャガー信仰。
儀式として球技、その際には生贄。絵文字や数字を用いゼロの概念持ち、数学や暦が発達。
頭部だけの石像が多く、ニグロイド・モンゴロイド的。
マヤ文明
BC2000~AD800年
大河流域でない地域に発達した珍しい文明。都市国家の集まりで都市間では頻繁に戦争。塩の生産、黒曜石が交易品。先古典期-前期、中期、後期、古典期前期、後期、後古典期に分類され、その後スペインが征服。

刃物は黒曜石のみ。
交通は家畜を使わず人力・カヌー。土偶などに車輪はあるが実用化なし。
主食はトウモロコシ。7世紀にはタバコ。
周囲の文明と大規模な交易。
上部に神殿付のピラミッド。“土台”の概念が強く、増築されることが多い。20進法採用。
基準日=BC3114年からの経過日数で表された長期暦が存在。
アステカ帝国
AD1428~AD1521年
メソアメリカ文明国家。元は12世紀頃、北部からの大移動。メキシコ盆地最大勢力アスカポツァルコの属国だったがアステカ三国同盟により覇権。δケツァルコアトルの伝説とスペイン来襲が重なり困惑し滅亡した国家。

神権政治による階級社会。世襲貴族、戦功貴族、平民、商人、奴隷。
強力な軍隊を持つ軍事大国→道路網整備。武器は黒曜石・石器。
カカオ豆が貨幣の代わり。商品の原産地は東方マヤ文明の各都市。
先のオルメクテオティワカンマヤトルテカの文明を継承。神殿建設や水利工事に高い技術力。精巧な暦。

占術と国家運営に使用する2つの暦→最大公約数が52年←1周期に使う。

人身御供の神事=生贄。生贄確保のための戦争も。生贄本人にとっても名誉。生贄日までは丁重に扱われた。

やはりアステカ帝国時代になると人名や戦争理由等明らかなことが多く説明が長い。

マヤ文明は非常に長い期間の間その中で戦争を繰り返してるので、アステカ帝国とはカテゴリが異なり一段上。互いに戦争するアステカ1アステカ2アステカ3、…。それら全体がマヤ文明

P016-3)aハンコックさんはトレスサポテス後期オルメク文明と言っておりますが、ウィキによればそれはマヤ文明の先古典期中期~後期。マヤ文明の方が800年古く記述されております。

P016-4)その他、書籍内にはアステカ帝国マヤ文明を丁重に扱った記述が多いですが、交易品の重要な生産現場だったからですかね。

オルメク文明マヤ文明

aハンコックさんは別モンだから…と論理展開の根拠にしますが、決定的な違いはあるのでしょうか。見た感じでは異質性は認められませんが。

特徴が綺麗に受け継がれてる→に滅ぼされたみたいな。どの国も肉まん作るし、ギョーザを箸で食べるのは一緒だよ?

“文明”としての違いは見受けられるのでしょうか。今後に注目です。


コメント

タイトルとURLをコピーしました