ポク太郎です。
書いてある内容が理解できない『神々の指紋』の個人的勉強ノート。
本投稿は第2部-第10章「太陽の門がある都」。
『神々の指紋』第2部「海の泡 ペルーとボリビア」~全体あらすじ
第2部の概要・要約・あらすじ
旅行記の体で綴られる南米ペルー・ボリビアの遺跡とビラコチャ伝説。移動経路はナスカの地上絵→クスコ→マチュピチュ→チチカカ湖→ティワナク。
途中、ビラコチャ伝説とエジプト王の共通点をこじつけながら到達地ティワナクの建造時期1.7万年前と主張。
南米古代遺跡に見られる技術がインカ帝国によるものでなく、1.2万年前に存在した現在より高度な技術であると話を展開していきます。
登場した遺跡名
第2部 ペルー・ボリビア |
ナスカ周辺 | ナスカの地上絵…ハチドリ・蜘蛛・サル・クジラ・幾何学図形。 |
クスコ周辺 | サクサワマン…石組みで作られた古代城塞。 コリカンチャ神殿…αビラコチャ神殿。 |
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マチュピチュ周辺 | インティフアタナ…“太陽を留める柱”。 ワナピチュ…反対側の山。 |
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ティアワナコ周辺 | αビラコチャ像神殿。 アカパナ・ピラミッド…水路完備。 カラササヤ…南西角に太陽の門。 |
書籍内の証拠名称、人物名
書籍中の文言が分からなくなるので証拠名称や人物名にA~の通し記号。
Aピリ・レイス | オスマントルコ帝国海軍総督。1513年に地図を描く。南極大陸の海岸線が現在の地図に見事に一致。 |
Bプトレマイオス | AD100年頃を生きた古代ローマの学者。数学・天文学・地理学・地図製作学等に精通し多数の業績。 |
Cピサロ将軍 | 1513年に到着したスペイン将軍フランシスコ・ピサロ。インカ皇帝アタワルパを約束反故にして殺害し、本国スペインから死刑判決。現在のペルー人も“インカ文明を破壊した元凶”と捉える人物。 |
Dガルシラソ・デ・ラ・ベガ | スペイン貴族とインカ王族の子息で、征服直後16世紀に『インカに関する公式報告書』を執筆した年代記編集者。 |
αビラコチャ | 南米ペルー・ボリビアの神話に登場する半神半人。アゴ髭を生やし数々の文明をもたらしたと言われる神。海からやってきて海へ去った“海の泡”。 |
βコリカンチャ神殿 | 純金のシートが敷き詰められ、純金のトウモロコシが栽培されるインカ帝国の首都クスコにあった神殿。 |
γカラササヤ | ティアワナコにある遺跡中の半地下式構造の広場「石が垂直に立つ場所」。北西には太陽の門。 |
aハンコック | グラハム・ハンコック。著者。元「エコノミスト」誌の東アフリカ特派員。 |
bハプグッド教授 | チャールズ・H・ハプグッド。キーン州立大学教授。歴史学者。 |
cアインシュタイン | アルバート・アインシュタイン。ノーベル物理学賞受賞者。 |
第10章「太陽の門がある都」
書き出し部「ティアワナコ遺跡の巨大石」
H010-1)現地人に伝わる伝説「インカ時代よりもっと前の遺跡。一晩で出現。」「大石は音と共に持ち上げられ空中に運ばれた。」
H010-2)Dガルシラソ・デ・ラ・ベガ「土台は石。巨大な石像。石の門は巨大で9.1m、幅4.5m、厚1.8m。謎はどうやって据え付けた?運搬方法も謎。」
⇒人間業に見えない。
第1節「低所にある神殿」
H010-3)αビラコチャだとされる赤い岩の石像。像高2m、南向き。後方には別の2体の石像。伝説に登場する弟子に見える。
H010-4)あご髭強調。また、耳の上下・頭の脇に動物の図柄。太い尾と棍棒のような足。足元から肩までらせん状の蛇←ローブの刺繍を表したものか。
H010-5)石像がある神殿は1.8m低地、長12mx幅9m。スイミングプールの底みたいな。周囲の壁には人間の頭の彫刻。
第2節「ピラミッド」
H010-6)次節のγカラササヤの説明を数行続けた後、「γカラササヤを見に行きたいと思ったが、南のアカパナ・ピラミッドに注目した」と節構成無茶苦茶にする方向転換。
立地・建造 | 1辺が210mで、方位はエジプトと同様正確に東西南北一致。内部には網状に水路。 |
歴史と伝説 | スペイン征服後、採石場に。盗賊に盗まれ表面のブロック石残は10%程度。 不吉な推論「滅亡に導く技術」:アカパナとはアイマラ語「HAKE=人々」と「APANA=(水に起因した)滅亡」から。 |
“水路”に関する学説 | 多数の考古学者「“水”に対する原始的崇拝」別の学者「何かを作るための洗浄用水力としての水路」 |
何らかの装置に見えるとの書き方。
第3節「太陽の門」
αビラコチャの神殿西にγカラササヤ。壁に囲まれた広場。北西角に太陽の門。
H010-8)γカラササヤとは現地の言葉で「垂直に立つ石の場所」。垂直に立った3.5m以上の一枚岩が一定間隔で並べられてるので。
H010-9)現在の学説「γカラササヤ=城塞でなく天体観測所。」太陽の門には精密なカレンダー彫刻&春夏秋冬の太陽の出没方位が計算可能だから。
次章で、天文学と太陽運行の調整計算により「γカラササヤ建設時期=1.5万年前」と主張する宣言。
第10章の感想、疑問点、批判
自分が勝手にこの乱文書籍に再挑戦→愚痴るのが本ブログ不人気の理由。
それはさておき、
P010-1)最後の“γカラササヤ建設時期”の予告が第8章で宣言した1.3万年前の大自然の大変動=ロルフ・ミュラー、アーサー・ボナンスキー二教授の主張に関わるものです。
有名過ぎるティワナク故か、情報少なく不完全燃焼。なのでWikipediaで“世界遺産ティワナク”を調査。無教養爺ですので頼れるものはそれしか。気になった特徴を表内に列挙。

1 | 遺跡 | γカラササヤ、アカパナ・ピラミッドだけでなく、プマ・プンクも。 aハンコックさんは取り上げてないが遺跡中にはプマ・プンクも。石材を止めるためのI字型のかすがいが多用されるピラミッド。少し外れた場所にあり、最も風化が激しい。 |
2 | 文化 | 飛び地ではあるが広範囲にその影響。 チチカカ湖南西のモケグア県など、その文化を継承したと見られる遺跡が存在。ティワナクからの移民による継承。“周囲を支配”てのは近年否定されつつある見方。別のワリ文化も存在し、モケグアはワリ文化とティワナク文化両方が異なる立地条件内で共存。 |
3 | 統治文化 | 頭のない人の遺体=生贄文化。文献には「片手に大型の斧、反対の手に首級が描かれた動物の顔をした人の図像が存在。 出土人骨には意図的に頭蓋変形させた跡。赤ん坊の頭を布で巻いて伸ばすやつ。飛び地のモケグアにも存在→ティワナクからの移民である証拠。 |
4 | 立地条件 | 標高が4000 m近くでほぼ食用栽培植物が育たず都市的様相ないと思われてきたが、その説は近年見直されてる。遺跡中心部で1~5万人は養ってたと想定。 |
5 | 石材に関して | 存在するのは砂岩、安山岩、黒色玄武岩。風化が激しいのが砂岩で表面が層状に剥がれ落ちる。風化が酷く修復困難。間違った修復も多く太陽の門も原位置になく本来の場所不明。 石表面は平ら。石材のハンマーで細かく叩いて平らにする技術や何かの媒介物で研磨。その使い分けは未確認。 |
P010-3)他、自分に馴染みのない言葉をメモ。
リンテル…2本の柱を建てその上に橋渡しで石を乗せる、日本の鳥居のような石の門。
ケーロ…飲み口が外側へ広がるコップ状の土器。
第7章で挙げた2019年の学説-断層地帯を利用した説。地震で砕かれた巨大石が入手可能な断層地帯を探し、そこに都市建造したのでは?とする新学説。
つまり、巨大石の製造者は人間業でないエネルギーを持つ地球のマントルとした説。
αビラコチャの神殿・γカラササヤの半地下式構造やアカパナ・ピラミッドの水路、またモケグアなどの飛び地な特徴など、その新学説が至る所で腑に落ちるティワナク文化でした。
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